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【第10話】ちょっと話を変えます。フィリピンのダークサイド。。

現在のフィリピンでの活動内容を書きます!

MACOTOです!

ここ最近はずっと僕の過去の流れや、DIPERCHEの誕生軌跡をテーマに書いてきました。

でも、ちょっと飽きてきた頃ではないかと思い、今回は第10話でキリも良いのでテーマを変更してみようと思います。

また自己紹介系は今後も引き続き書いていきますね ^ ^

もし良かったら聞いてください ^ ^

一番最初の「第初話」に戻る際はここをクリック!!

で、なんで僕は自分の事を突然MACOTOって言い出したのか分かる記事はここからどうぞ  笑

それでは今回はフィリピンネタでお送り致しま〜す!!

「なぜ、フィリピンなの?」ってよく聞かれるんですが・・

そうなんですよね。。

それが一番よく聞かれる内容です。

で、その話をするにあたって先ずはどうしても先にみなさんへ伝えておきたいことがあるんです。

フィリピンを愛している僕として、本当はこの事は隠しておいて綺麗な所だけをお伝えしたいのですが、僕が何故フィリピンに魅せられたのかという理由を全て明かすにはどうしてもここの部分のシェアが必要だと思ったので、やっぱり全てを晒そうと思います。

ここからの話は家族や友達にさえ言った事がない事なので、勿論これから話す事を人に伝えるのは初めてになります。

しかし、DIPERCHEを愛してくださっている皆様だからこそ、僕の考えや思いは必ず伝わるはずだと思い、DIPERCHEを好きでいて下さる皆様にだけシェアしたいと思います。

もし良ければ、聞いて下さいね。。

日本人が想像するフィリピン(ダークサイド編)

多分、みなさんが想像するフィリピンって、こんな状態ではないでしょうか?

 
ですよね  ^ ^
 
この画像は僕が今から約2年半くらい前にフィリピンのあるエリアで実際に撮ってきた、リアルな画像です。
 
僕も初めてフィリピンへ行くまでは「フィリピン」って聞くとこんな感じだと思っていました。
 
因みにこのエリアは「トンド」という場所という名前の場所で、現地では「スクワッターエリア」と呼ばれるスラムエリアです。
 
今社会問題にもなっている「スモーキーマウンテン(ゴミ山)」が実際に存在する場所になります。
 
でも、フィリピン政府は本当はこのゴミ山の存在を隠蔽しておきたいのか、ゴミ山を写真で撮影することは許されてないんですよいね。。
 
って、言われると余計に撮影したくなるのがMACOTOでして。。
 
そ〜っと撮ってきました。
って、この時はまだそんな感じの軽いテンションだったんです。。
 

言葉を失うMACOTO、そしてスモーキーマウンテン

 
でもこの画像だけはFacebookなどのSNSには一切あげたことがないので、この画像も初公開です!(皆さんを信じてアップしています)
 
 
DIPERCHEを応援してくださっている皆様にはフィリピンのことをなるべく沢山知って頂きたいという思いでもって、ここでは何でも公開したいと思います。(FBなど、SNSはあまり攻め込んだことは書きませんし、書く必要も無いと思ってます 汗)
 
で、これがそうなんです。
 
 

 

ちょっと見辛いですが、後ろの方になんか山の様なものが見えますよね。

あれ、全部ゴミなんです 驚

このゴミは毎日毎日メトロマニラ(フィリピンの首都圏)も含めて色々な所から、クソでかいトラックでここに運ばれて捨てられています。

このエリアの中心へ行く道中もいたるところにゴミが集められています。。

車を運転してくれていたドライバーは「絶対に窓を開けるな!あと、ドアロックも絶対に開けるな!!」と強めの口調で言ってきました。

 

 

おそらく、現地の人でもあまりこのエリアには行きたくないんでしょうね。。

ここはフィリピンの中でも特に貧困が激しいエリアであるため、犯罪も多くて危険な地域なので無理もないですね。

 

で、日本だったら考えられないことですが、ここへ集められたゴミは一切処理(焼却したり埋めたり)されません。。

生ゴミから燃えないゴミまで、全てここに纏めて捨てられるんですよね。。

で。。スモーキーマウンテンの言われなのですが、こんな状態の中で夏になると(フィリピンの夏は4月から6月)気温も毎日35度くらいまで上がり、大量のメタンガスが発生してそれらが化学反応を起こし、引火するためにずっとゴミが燃え続けているんです。

それで常にゴミ山から煙が立っていることから「スモーキーマウンテン」と言われる様になったというわけです。

となると、容易にイメージできるのが劣悪な衛生環境です。

想像を絶するくらいのとんでもない環境。

ここへは当然車で来たのですが、現地に到着して車のドアが開いた瞬間、今まで生きてきた中で経験した事が無いくらいの悪臭に襲われてしまいました。。

言葉では言い表せないくらいの悪臭。。

村全体に日本にあるゴミ処理場の中の100倍くらいの悪臭が立ち込めていました。

ここには大体2時間くらいしか滞在していなかったのですが、その日ホテルへ帰ってからずっと吐き気が止まらなくなってしまい、大変な目に遭ってしまいました。。

ただその時はその場に居ただけで、勿論現地での飲み食いは一切していないにも関わらずです。

因みに、ここに住んでいる人々は50歳まで生きればかなり長生きな方なんだそうです。。

僕は今、44歳。

今の僕の年齢でさえもまあまあ長生きしている部類になるわけです。

そりゃ、そうですよね。。

毎日あの空気を吸っていて、長生きなんかできるはずがありません。

生まれた時から毎日、あの猛毒を吸いながら生活をしているのですから。。

で、ここに住まう多くの人々がこのスモーキーマウンテンに登って仕事をしています。

まだ使えるものや着れるものなどをこのゴミ山から拾い集めて、この村の中でそれらを売って生計を立てて暮らしている人が沢山いるんですね。

しかし、そうやって仕事をしている最中にもゴミ山で発生したメタンガスが突然爆発したり、ゴミ山が崩れてゴミで生き埋めになったりで、しょっちゅう沢山の人が死んでしまうそうです。

これがその死者に向けて設立されたメモリアルモニュメントです。

僕はこれを見た瞬間、しばらく動けなくなってしまいました。。

同じ時代に生まれてきたのに、どうしてここまで僕たちとはかき離れた生活を送っている人がいるんだろう。。

でも、自分には何一つできる事がないという無力さが嫌になって、しばらくこの場所から動けなかったんです。

 

スラム街のリアルな姿

で、しばらくしてから気持ちも落ち着き、あのメモリアルモニュメントを後にした僕は、ここの住人達が買い物をしたりするストリートへと歩きました。

そこにはここに住まう人々の色々な知恵や工夫がありました。

やはり一番先に目に入ってきたものは「ヘアーサロン」です。

ここのスラム街にもやはりヘアーサロンはあるんですよね。

こんな外観でした ^ ^

意外と可愛く作られていました ^ ^

で、どうしてもこのサロンをやっている美容師さんと話がしたくて、中に入って行きました。

今から思うと、我ながら根性あるなぁと思います(笑)。

で、中はこんな感じだったんです ^ ^

意外となかなか可愛い ^ ^

この中にあるもの全て、多分あのゴミ山から拾ってきて作ったんでしょうね。

そう考えると、今の自分の環境(日本での環境)は全然ヌルいなぁって思いました。

で、そこの美容師さんと少しだけ話して(っていうか、言葉自体は何を言ってるか全く分かりませんでしたが、やっぱり美容師同士っていうのは心で繋がってるのか、何となくですが彼女が僕に伝えようとしている事は分かった様な気がします)またブラブラ歩き始めました。

で、次に見つけたのは学校でした。

スラム街にある学校

この学校は日本のボランティア団体が作った学校なんだそうです!!

そういえば、戦時中も日本の兵隊さん達は東南アジアへ侵略した際に同時に教育もしっかりと行っておられた事が今の東南アジア諸国の皆さんが日本人をリスペクトしてくれている大きな理由の一つなんですよね。

そして今もこの様な活動を行っているのはやはり日本人。

あたらめて「やっぱり日本人は素晴らしい民族だ!」と、自分も日本人である事に対して誇りに思いました。

この緑の建物が学校です。

で、ちょっと中にも入れそうな感じだったので、中にも入らせて頂きました。

中は決して勉強をするのに適した環境とは言えませんでしたが、ここでみんな勉強しているんだなぁと思った時、「まだ本当に小さな子供達であるにも関わらず、こんな劣悪な環境ででも感謝してくれて勉強しているというのに、俺は一体何をしているんだろう・・」って自分が情けなくなりました。

中はこんな感じでした。。

ちょっと分かりにくいですが。。

何となく興味本位みたいな軽いノリなんかで画像を撮る様な雰囲気ではなかったので、サクッと撮らせてもらった為に、ちゃんと撮れませんでした。。すみません。。

で、またテケテケと、ストリートを歩き始めました。。

そして、どうしてもここに住まう人のお宅にお邪魔したくなってしまい、道で知り合った方に訪ねてみました。

その時はまだ僕もろくに英語さえも喋れない状態な上、この街の様なスラム街では英語も殆ど通じません。。

で、何とかフィーリングで話しかけて、何とか自分の意思を伝える事に成功したんです!!

「Hello, I’m a Japanese. Can I visit your house? If you don’t mind..」

当時の自分にはまだこれくらい言うだけでいっぱいいっぱいでした。

直訳すると、「こんにちは。僕は日本人です。もしよければあなたの家に行ってもいいですか?」です(笑)。

こんな事、いきなり見ず知らずの外人に言われたらビックリしますよね(笑)。

でも、何とか思いが伝わったのか、彼女は「Ah… It’s OK!」って言って、自分の住んでいる家を案内してくれたんです!!

その時の画像がこの記事の一番初めに出していた画像だったんです。

↓  ↓  ↓

 

っていうか、今考えるととんでもなく危ない事をしているなぁと、自分でもビックリです。

たまたまいい人だったから良かったものの、もしこれが悪い人だったとしたら、殺されていたかもしれません。。

今考えてもゾッとします。。

だって、こんな人っけのない道を着いて歩いて行ったんですから、何が起こってもおかしくないですよね。。

その方の家に行った時、僕はこの国でヘアサロンを開くと決めました。

で、ドキドキしながらその方の後ろを着いて行きました。

5分くらい歩いたところにその方の家はありました。

屋根とも言えない様な屋根(ブルーシートで覆っているだけ)、ただブロックを積み上げただけの壁、ガスも水道もありません。

裸電球が1つだけイビツな配線の先にぶら下がっていました。

この電気も外から盗電した電線から引いているみたいです。

そして、部屋の中には所狭しと色々な物が置かれています。

その方にはまだ5歳くらいの男の子が1人、小学3先生くらいの女の子が1人、中学生くらいの女の子が1人、合計3人のお子さんが居られました。

因みに旦那さんは数年前、例のゴミ山で仕事をしてる際に事故に遭って亡くなってしまったそうです。。

どうやって生計を立てておられるのかは分かりませんが(言葉が通じなさ過ぎてそこは分かりませんでした)、最低限の生活をなさっておられる感じでした。。

この画像も本当は出したくなかったのですが、DIPERCHEを愛して下さっている皆様にだけ見てもらおうと思います。

その方の家はこんな感じでした。。

 

先ずはこれが目に飛び込んできました。。

もちろん、炊飯器も、洒落た調理器具も、ガスコンロも何もありません。。

薪に火を起こして米を炊いたりして食事を摂っておられる様でした。。

で、本当に言うかどうか迷ったのですが、「Can I take a picture of us?」って、勇気を振り絞って言ってみました。

すると、笑顔で「OK!」って言ってくれたので、近くにたまたま居た人に写真を撮ってもらいました。

もちろん、携帯を預けた瞬間にそれを持って逃げられてしまうことも覚悟した上でお願いしてみました。

でも、その方は普通に写真を撮ってすぐに僕の携帯をちゃんと返してくれました。

ここでよく考えてみてください。

ここまで貧困な人が無防備に携帯、しかもiPhoneを手に渡されるんです。

そのまま走って逃げて、僕のiPhoneを売り飛ばせば多分ここでは1ヶ月くらい食って行けると思うんです。

でもその人はそうはしませんでした。。

携帯が僕の手に渡された時、涙が止まりませんでした。

とても汚れていて、日に焼けて黒いのか、汚れていて黒いのか分からないくらいになった真っ黒な手から、全然働き足らない様な僕の手に携帯が帰ってきました。

訳も分からず、本当に涙が止まらないんです。。

で、その時に撮った画像がこれなんです。

この1枚の画像は今でもすぐに出せる様に大切に保管しています。

自分がブレそうになった時や、何かにくじけそうになった時にこの画像を見てまた気持ちを入れ替えて頑張る様にしています。

このトンドと言う場所に訪れた時、自分の中で何かとても大切なものに気付いたんです。

日本人として、今の時代に生まれて来れたこと。

これは決して当たり前の事ではないのです。

お腹いっぱいって言って、食べ物を捨てたり、もうこれ要らないって言ってまだ使えるものを捨ててまた新しいものを買ったり。

別にそれが悪いと言いたいわけではないです。

ただ、そうやって僕たちが時間を過ごしている間の同じ時間にもこうやって生活をしている人が居ると言う事、自分が何ができるかをその時に色々考える事が出来た事を絶対に忘れない様にしたいと心から思いました。

と言うか、フィリピンという国が僕にそんな大切な事を教えてくれました。

だから僕はもらった分くらいは最低でも返したいと思い、自分がこの国でできる事を一生懸命考える様になったんです。

 

つまり、この出来事がフィリピンという国で仕事をする理由を作ったというわけです。

まとめ

今回はいつも以上に思いを込めてブログを書きました。

知らない間に5600文字を超えてました(驚)。

日本で暮らしている人々に、本来はもっとフィリピンの良いところや綺麗な場所や楽しい場所などだけを伝える様にして、少しでもフィリピンという国の印象を良い印象として捉えて頂ける様にしたいと思っています。

だからFacebookなどの投稿ではこの様な部分は一切出さない様にして、フィリピンのイメージを崩さない様にしてきました。

でも、DIPERCHEを愛してくれる皆さんにだけはどうしても全てを包み隠さずお話をして、僕たちの本当のミッションなども共有させて頂きたいと思っています。

ですので、今回はこの様な記事となりました。

今回に限って、「最後の画像」は敢えて遠慮させて頂きたいと思います。

次回は、今回とは一転した「経済大国へと真っしぐら!今のフィリピン!!」という感じのテーマでお送りさせて頂きたいと思います。

 

今回は特に長い記事になってしまいましたが、ここまで真剣にお読み頂きまして本当にありがとうございました!!

これからもどうぞよろしくお願い致します!

 

   連尺野 誠

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